いぶろぐ雑記

諏訪が好き ミシャグジさまの 諏訪が好き(前編)

京都に出かけていろいろ写真を撮ってこようかと思ったのですが、「緊急事態宣言が解除されて観光客が多くなってきた」というニュースを見て、自粛しました。

とはいえ、なんかブログは書きたいので、今回は私の愛してやまない「諏訪地方」に行ったときの写真をいろいろお見せしていこうと思います。

諏訪地方

諏訪地方というのは、長野県にある諏訪湖近辺の地域を指します。

岡谷市、諏訪市、茅野市あたりを指すことが多いでしょうか。

観光地としては日本最古の神社とも言われる「諏訪大社」の他にも、「霧ヶ峰」や「美ヶ原」、『君の名は』の聖地でもある「立石公園」なんかがあります。

地理学的には、フォッサマグナと中央構造線がクロスしていて、昔から地震が多かったと言われる地域。パワースポットとされることもありますね。

そんな私が大好きな諏訪を、写真とともに探訪していきます。

諏訪大社

私が諏訪に行ったら絶対足を運ぶのが「諏訪大社」です。

諏訪大社は上社と下社があって、お祀りしている神様はそれぞれタケミナカタノミコトとヤサカトメノミコトです。

タケミナカタは古事記に出てくる武勇で知られた神様。戦国武将もよくお参りしたという言い伝えがあります。しかし、古事記の記述ではタケミカヅチという神様にこてんぱんにされてしまっているので、その武勇に疑問を呈する研究者もいます。

上社と下社はさらにそれぞれ前宮と本宮、春宮と秋宮にわかれているので、諏訪大社は4社で構成されている神社になります。

前宮

私が諏訪に行ったら最初にお参りするのが前宮です。

前宮は諏訪大社4社の中で最初にできたと言われている、装飾などもほとんどない素朴な神社。社殿には伊勢神宮の御用材が使われているそう。社殿そのものは素朴なんですが、実は諏訪4社で唯一本殿を有しています。

こちらは諏訪大社の一番の特徴である「御柱」。

その名の通り、ぶっとい柱が地面にぶっ立っています。しかも神社を囲うように、四方にそれぞれ1本ずつ。

諏訪大社では、7年(実質的には6年)に一度「式年造営御柱大祭(いわゆる御柱祭)」が執り行われます。そのお祭りで、「もみの木」を引きずったり転がしたりして大社まで運んで立てられているのがこの柱。なので柱の裏側は削れに削れています。

御柱祭は死者が出ることもある危険な祭ですが、氏子の方たちはこのお祭りを守り続けています。

本宮

前宮から車で10分ほど北上すると、諏訪大社本宮が見えてきます。

本宮は全国の諏訪信仰の総本山で、4社のうち1社しかお参りできない場合はたいてい本宮にお参りするでしょう。

本宮は拝殿のみで本殿がない、古式な神社。拝殿のむこう側にある自然そのものをお祀りしているわけです。

拝殿がない神社としては、奈良県の三輪山をご神体とする大神神社が有名ですね。

大神神社は三輪山をお祀りしているわけですから、諏訪大社本宮もお祀りしている「自然そのもの」があってもおかしくはありませんが、本宮の拝殿の向こうには特筆すべき自然はありません。では一体何をお祀りしているのか?

その話をする前に、ここでちょっとした諏訪大社の「間違い探し」をご紹介します。

本宮にも御柱は4柱あるのですが、実は本宮だけ前宮、春宮、秋宮と比べて「何か」が違います。

その答えは…

「配置」です。

前宮ほか2社の御柱は、拝殿に向かって右手前の柱から時計回りに「一之御柱」「二之御柱」「三之御柱」「四之御柱」という配置になっているのですが、本宮だけ違います。

本宮は右手前から時計回りに「四之御柱」「一之御柱」「二之御柱」「三之御柱」となっているんですね。

つまり、90度ずれているんです。

これを前宮などと同じ配置になるよう、拝殿に向き直した方向にあるのが…

「硯石」と呼ばれる大きな石です。

この石は「ミシャグジさま」という諏訪に昔から伝わる土着の神様が宿ると言われている、諏訪大社の中でも重要な石(というか岩)です。

さらにその石の向こう側にあるのが「守屋山」。本宮からは見えませんが。

御柱を基準に考えると、諏訪大社の「向こう」にあるのは、硯石、ひいては守屋山になります。

諏訪大社本宮は、はるか昔はミシャグジさまと守屋山をお祀りしていた神社だったのかもしれませんね。

諏訪大社は公式には守屋山をご神体として認めていませんので想像に過ぎませんが、昔の人は守屋山を見て何かを感じたのかもしれません。

守屋山

守屋山は標高1631mとそこそこ高い山で、軽装で登山すると後悔します。登山道は誰でも登れるように整備されているとは言い難く、切り立った崖のような場所もあります。

頂上からの風景はこんな感じ。奥穂高などを一望できます。

本当はこの頂上付近に「物部守屋神社」の奥宮があるのですが、撮影し忘れていました…いや、ここまで登るのが本当にキツくて…

Googleで検索していただければわかりますが、奥宮は鉄格子に覆われて厳重に管理されています。

物部守屋と諏訪

守屋山のふもとには、先ほどちらっと出てきた「物部守屋神社」があります。

神社の名前である物部守屋は、古墳時代の大連、つまり有力な豪族です。受験では崇仏論争における蘇我氏との対立がたまに問われます。

物部守屋神社の奥宮は守屋山の頂上にありますが、こういった山の頂上にあるような神社は、たいてい人々がいつでも気軽にお参りできるように、ふもとに「里宮」がつくられます。富士山の浅間神社が代表的な例ですね。

物部守屋神社の里宮は、諏訪から車で20分ほど離れた守屋山のふもとにあります。

境内はこんな感じで、こじんまりとした社がひとつ。

諏訪ではどんな小さな社にも必ず諏訪大社と同じように柱が立てられているのですが、物部守屋神社には柱が立てられていません。

つまりここは、諏訪信仰の範囲外、ということになるわけです。祀られているのがタケミナカタではなく物部守屋なので、当然と言えば当然です。

では、御柱自体は何を祀っているのでしょうか。御柱自体、タケミナカタが諏訪大社で祀られるよりもずっと前から存在していることを考えると、御柱は、タケミナカタではなく他の神様に対するものだったはず。

そう考えると、御柱に象徴される諏訪信仰の本質は、やはりミシャグジさまということになるのかな、と勝手に考えています。

物部氏は軍事を司る大連。蘇我馬子との対立に敗れた物部守屋が、この諏訪の地で「タケミナカタ」として祀られているという研究もあります。実際、物部守屋の子孫は守屋の敗死後、諏訪の地に逃れてきたようです。

土着の信仰と中央の新しい神話が結びついたのが、諏訪という土地なのだと思います。

ちょっと長くなってきたので今回はここまでにして、次回は縄文時代から連綿と流れ続ける諏訪信仰の中身をお見せしたいと思っています。

おまけ

守屋山に登っていると、ちょっとホラーな看板が無数に目に入るのですが、これは「高遠長谷部アジア公園」という、かつて長野県伊那市に存在していた行楽地の看板です。

他にも使われていない別荘地などが廃墟として残っていて、諸行無常を感じることができます。

さらに、守屋山のふもとでは…

太陽光発電の開発が進められていました。かつて信仰を集めたであろう神奈備のふもとであることを考えると、少しさみしいかも?