いぶろぐ雑記

選挙がけっこう好きな話

こんにちは。

参院選も終わりまして、みなさま悲喜交交あろうことかと思いますが、自分は選挙というものがけっこう好きだったりします。

政治そのものには明るくないのですが、選挙は好きです。

せっかくなので、選挙が好きな理由を言語化しておくことにしました。理由は2つあります。

1. 日本や各地域のことを間接的に知れる

選挙ほど全国的に行われ、注目され、かつ結果が明確なイベントって、あまりないような。

選挙の結果を見ると、その時、その国の人が、どんなことを考えているのかが、各政党や候補者の主張を通して間接的にわかる。

そこで可視化された情報をもとに、自分が次にどう動くべきかを考えていくのが好きです。自分の舵取りにおいて、最も低レイヤーの情報のひとつであると捉えています。

また、各地域ごとにも支持政党に特徴があったりしますよね。その情報をバックグラウンドとしていろんな場所を訪れると、地域がより立体的に見えることもあります。

そういうわけで、日本の全体感がわかるとても面白いイベントとして、けっこうカジュアルに選挙を捉えちゃってます。これが選挙が好きな理由その1。

この理屈ならいつも政治に興味を持てばいいのでは?という気がしますが、僕の中では、イベント性が大事w

もっと関心を持ったほうがいいんでしょうね〜。ここは30代の課題にしておきます。

2. 自分と他者を考えるきっかけになる

選挙で票を投じるためには、何らかの基準だったり、自分の考えを持つ必要があります。 この政策が自分の考えと一致してる〜とか。消去法だとしても選択の軸はあるはずですよね。

では一体その軸は、どこからきたものなんでしょうか。 なぜその票を投じるのが「自分でなければならなかった」のか。何が自分をそうさせたのか。

そう考えると、投票という行為は、内省のいいきっかけに思えてきます。

自分がこれまで経験してきた出来事や置かれた環境を、政策という極めて社会的な概念を通して振り返る。

そうすると、自己というものが、社会に用意された要素の単なるランダムな組み合わせに過ぎないような気がしてきます。 社会という巨大で複雑な地図の上に、筆で墨汁をパッと振って、墨がついた場所が「自分」のような、そんな心持ちになってきます。

自己そのものが社会の要素の組み合わせであり、実体がないという発見と同時に、その要素を共有する他の組み合わせ、すなわち他者の存在が立ち上がってきます。すべての要素を共有してはいなくても、一部を数多くの他者と共有している。

こんな感じで自己を見つめた結果、自分という存在が社会において極めて曖昧なものであり、他者と限りなく地続きであることを実感できる。これが選挙が好きな理由その2です。

おわりに

なんか最後はよくわからない文章になりましたが、今回の参院選もちゃんと投票行きました。

期日前投票して、投票日には鳴門海峡の渦潮を見てきました。渦潮といえば渦潮…?